発明者は日本人
3Dプリンタは実は名古屋工業研究所の児玉先生という日本人が発明したということを知っている人は少なくないと思います。この人はもともとシャドウマスクという半導体を露光してパターンをつくる研究をされていたのですが、そのときに光を当てたら固まる樹脂、光硬化性樹脂に出会います。このシャドウマスクの技術を応用すれば3次元物体ができるのではないかということを考えたのが最初のようです。1980年に特許出願をしています。
しかし、児玉先生だけではなくほぼ同じ時期に、3MのAlan J. Herbertだとか、大阪府立工業技術研究所の丸谷先生だとか、アメリカのCharles W. Hullといった人たちも同じようなことを考えついています。共通して言えるのはこの人たちの発明に関心を示した人(所属していた組織)はいなかったということです。そして、この最後のChuck Hullが1986年に3Dシステムズ社を設立し、その翌年の1987年に初めての3Dプリンタ、光で固まる方式ですが、それを世の中に出しています。最終的には、3Dシステムズ社が持つ特許が世の中で有効だということで今日まで来ています。
人物 | 研究開始時期 | 特許出願 | 論文発表 |
---|---|---|---|
児玉 秀夫 (名古屋市工業研究所) | 1980年 | 1980年 4月 12日 (審査請求せず) | 1981年 |
Alan J. Herbert (米国3M社) | 1978年 | 出願せず | 1982年 |
丸山 洋二 (大阪府立工業技術研究所) | 1983年 | 1984年 5月 23日 | 1984年 |
Charles W. Hull (米国Ultra Violet Product社) ※1986年 3D Systems社設立 | 1982年 | 1984年 8月 8日 | ー |
*参考文献:光造形法の発明(北口秀美)<http://www.thagiwara.jp/rp/rp-history/kitaguchi.html>
特許紛争
新しい製品を開発して世の中に出す際にはそれが他社の知的所有権を侵害していないか細心の注意を払って調査するのが当たり前の話ですが、大丈夫だと判断しても特許侵害で訴えられることはよくあることです。3Dプリンタは特に特許紛争が絶えなかった分野ではないかと思います。
EOS社も1993年に3D Systems社から特許侵害で訴えられています。1997年に和解が成立したことでEOS社は光造形事業を手放し、粉末焼結に専念することになります。EOS社は光造形を手放す見返りに、3D Systems社から得た粉末焼結の特許に関する何らかの権利(詳しくは忘れました)を盾に、2000年にDTM社を特許侵害で訴えています。DTM社は2001年に3D Systems社に吸収されたので、EOS社の訴訟相手は3D Systems社となり、なんとも奇妙な関係となっていました。この訴訟も2004年に和解しています。
実は私も苦労しました・・・
私も特許紛争では苦い経験があります。1998年、当時私たちが販売していたポリマーの造形装置であるEOSINT P350 がDTM社の特許を侵害しているということで、DTM社が販売停止の仮処分を申請したのです。残念ながらこの仮処分は認められて、EOSINT P350は国内で販売できなくなりました。
「粉末を一層一層レーザで固めて3次元形状を生成する」というのは既知の技術であり問題はなかったのですが、DTMの特許は「ポリマーを造形する際にあらかじめ予熱を加えて反りや歪を防止する」という技術でした。当然我々はそんな技術は既知の常識であり特許自体が無効であるということと、特許は侵害していないという二本立てで戦うこととしました。
DTM社が訴訟に踏み切ったのは、私がある講演で発表したEOSINT P350の特徴が予熱で反りのない造形ができることを示した資料を入手したからでしょう。くれぐれも発表内容には気を付けなといけないなあと反省しました。途中、訴訟相手がDTM社から3D Systems社に代わりましたが、結局最高裁で我々の主張する特許の無効と特許非侵害が認められて、仮処分に対する損害賠償訴訟へと進み、最終的に和解が成立するのは2004年のこととなります。
1998年から2004年までの6年間に、裁判のため(正確には準備書面の作成)に費やした時間は計り知れません。裁判そのものはテレビで放映されるような華々しい主張のぶつけ合いというようなものはなく、指定された期日に準備書面を提出して、それに対して相手の準備書面を次回いつまでに提出するかの期日を決めるという極めて地味な法廷(というか会議室)でした。とはいえ、直接相手の弁護士とも会うので緊張はします。
ちなみに当時、営業活動はすべてe-mail で報告整理されていたので、損害額の算定には大いに助かりました。
著者紹介
略歴
1952年 大阪生まれ
1977年 大阪府立大学大学院工学研究科船舶工学 修士課程修了
1978年 日立造船情報システム(株)入社
1991年 海外事業部部長
1993年 独EOS社と積層造形装置の日本国内における独占販売契約締結。
以後、EOS社の積層造形装置の事業推進に従事し、現在に至る。
2021年 2月1日現在
(株)NTTデータ ザムテクノロジーズ ソリューション統括部 技術部